クルト・マズアは世界的指揮者であり、旧東ドイツの「無血革命」を成功させた立役者としても有名な一人。

音楽の素晴らしさを人々に与え、妻を亡くした後その音楽に救われたクルト・マズア。

一体、彼はどんな人生だったのでしょうか?

クルト・マズアの生い立ち

クルト・マズアは1927年ドイツのシュルレジェンのブジェクで生まれました。

15歳から2年間国民音楽学校でピアノとチェロを学び、1946年から1948年までライプツィヒ音楽院では、指揮法、ピアノ、作曲などを習います。

その時に、当時ドイツの指揮者であったボンカルチュに強い影響を受けたと言います。

音楽院を卒業した1948年からはハレ州立劇場に練習指揮者として入団。

その後、正式な指揮者として昇格されます。

しかし、いくつかの私立劇場で第1指揮者として活動すると、1955年からは影響を受けた指揮者であり恩師のボンカルチュの推薦でドレスデン・フィルハーモニックに1958年まで滞在して、彼からジュベリンのメクレンブルク国立劇場の音楽総監督に就任をします。

その後も様々な劇場で指揮者として、また音楽監督としても精力的な活動を行っていました。

クルト・マズアの音楽

クルト・マズアの音楽の大きな要素として注目を集めていたのは彼の積極性です。

意欲的に国外に演奏旅行に出ては国際的なセンスを備えて、それを音楽に反映させる。

彼が作り出す音楽は音楽伝統にとどまらずいつも前向きな志向的姿勢を見せていました。

2番目の妻の事故

ここではクルト・マズアの私生活についてちょっと話をしましょう。

実は彼には3度の結婚歴があります。

離婚後、2度目の再婚を果たしたクルト・マズアは当時44歳。

妻のイルムガルトと車に乗って出かけていたのですが、前から走ってくる車と正面衝突。

その場で妻はこの事故が原因で帰らぬ人となってしまいました。

さらに衝突した車に乗っていた二人の命も奪われてしまいます。

この事故の原因とみられるのが居眠り運転だったそうです。

この事故で彼は人生の終わりだと絶望してしまいます。

しかし、もう一度だけ人生で最後の指揮をしようと考え、演奏後に「生き抜いて、音楽だけの道をいく」と決めていたそうです。

日本人の妻がいた

クルト・マズアの日本人妻

クルト・マズアは日本でもかなりのファンがいますが実は3番目の妻は日本人声楽家である桜井偕子でした。

二人には息子が一人いるんですが、現在はサンアントニオ交響楽団常任指揮者を務めているんだそうです。

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ベートーヴェン:交響曲・序曲全集

9.8

録画

9.5/10

演奏

9.9/10

指揮

9.9/10

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